鳴子の米プロジェクト。

ようやく報告する時間ができた。すんごく長いっすよ。

d0060094_2233748.jpg いまは平成の合併によって大崎市鳴子となっているが、以前は玉造郡鳴子町であった。中心地の鳴子温泉街は確か源泉数が日本一。知名度は全国区、東北でも有数の、団体観光の隆盛を経験した歓楽街である。地勢を一言で言えば、奥羽山脈のまさに山懐といってよい。
 面倒くさい話だけど、あまり事情を知らない人には、このトライアルの背景を理解してもらわなければならない。
 日本の米農業補助政策は今年度から大きく変わった。基本となる骨子だけを言えば、平坦地では4ha以上を耕作する米農家、あるいは集落みんなで耕作する20ha以上の生産組合でなければ、国による補助が打ち切られる。耕地が狭く規模も小さい中山間地では特例で50パーセント条件緩和となる、つまり2ha以上(個人)。しかしハードルは極めて高いもので、鳴子地区ではほとんどが補助の対象からはずれると危惧されている。
 いろんな意見はある。安定的に食糧を生産してくれる規模と意欲がある農家にだけ、血税は注がれるべきだというのが、最も鋭角的な意見だろう。でも日本がようやく自給している40パーセントの中身には、小さな農業が供給している実質的な食が含まれ、その割合は決して小さくないはずなのだが。


d0060094_2271859.jpg「鳴子の米プロジェクト」は、東北181号という耐冷性の高い、冷涼な山間に合った新品種米を育て、来季から1俵18000円の生産者価格で、消費者に直接買い支えてもらうことを柱にしている(現在、新潟産コシヒカリをのぞいて米の市場価格は再生産価格を割り込んでいるのだ)。山がちな土地でも米づくりをあきらめない、ふるさとで生きることをあきらめない、国の補助なしで自立するための一歩だ。そして同時に、「鳴子ツーリズムの研究」という、脱団体観光時代に活路を開こうという、まちむら交流の一環でもあるのだ。たとえば多くの宿で鳴子ならではの米を、さまざまな形で提供する、といった具合に。
 数軒の農家が昨年試験的に栽培し、発表会はその収穫を鳴子のみなさん総出で、おむすびやら、米粉を使った菓子やら、パンやらに仕立て、食べていただくもの。
 会の第一印象は、よくも並んだり。そしてほんとうにおいしかった。節気や慶事に食べられてきたさまざまなご飯料理。上新粉で作られてきた団子や餅。若く新しい感覚でつくった創作おむすび。米粉パンや米粉ピザ、構造改革特区で免許を取得した「どぶろく」まで。地元の木工職人が腕をふるった器。その詳しいボリュームはとても書ききれない。そう、鳴子にありったけの米の食文化である。総合プロデューサーは、宮崎町(現加美町宮崎)の「食の文化祭」と同じく、結城登美雄氏だ。

d0060094_2284818.jpg 僕は二十年来、忘れていた言葉がある。「日本ほど、全国どこへ行っても米がうまい国はないよ。日本にまずい米なんかないんだ」。そう語ったのはよく通っていた飲み屋のマスターで、いまはすっかり交遊をおろそかにしてしまっているけれど、彼から聞いた食の見識は今もって心から信頼してことばかりだ。まったく同じことを結城さんが挨拶で言われ、思い出させてくれた。「食味計という機械や、マスコミの評価でランクが決められる取引」とは違う、作り手と食べ手のつながりを実現しようと。「食べることは、子供から大人まで、誰でも簡単にできる農業の応援なのだから」とも付け加えて。(写真はごはん1杯と同じ価格24円の食べ物=笹かまひと口大=イチゴ1個=ポッキー4本)


d0060094_22363181.jpg しかし日本の米は余りまくっているから、現状ではどこかのコメが選ばれれば、どこかの米が選ばれない。広い見方をすれば、「鳴子の米プロジェクト」は、もっとごはんを、米を味わい尽くそうよ、という呼びかけなのだ。米が過剰なのは、米以外の主食の選択肢が増えて、なおかつ「おかず食い」になったからだ。余計に食べるようになったものの中で、輸入品が占める割合は相当大きいはずである。米作りを支えてもらうためには、輸入食材に流れた「マス」を、米に振り戻すのが、一番シンプルだ。それには米のおいしさを再発見してもらわなければならない。この発表会のような方法で。
 作って売るのではなく、売れるものを作れとマーケッターはやかましく言う。米を作れば政府が相応の額で買ってくれる食管制に農家が甘んじてきた面、それも否定できないのだし。が、作り手の端くれから言わせてもらえれば、水や土壌環境などの理由で米以外のものを作りようがない土地は、彼らが思っているよりずっと多い。それに70歳80歳で後継者もなく、ようやく耕している人にとって、いまからの転作など何になろうと考えても無理はない。

 さて、ここまでは農林漁的生活ライターとしての報告である。
 他方には、米の作り手としての自分が間違いなくいる。そもそもエピキュリアン〜快楽主義者の性分だから、食べる愉しみは米だけでないとも考えているのだ。できることなら転作してもいいとさえ思っている。拙宅の水田も平地とはいえ、補助される4haには遠く届かない。集落営農は意見がバラバラでまとまる気配がない(細かい説明は省くけど、日本の多くでそういうものなのだ)。多様な野菜づくりは、とてつもなく魅力的だ。ただそれには、まだまだ畑のことを勉強しなければならない。いま思えば、気づくのが10年遅かったなあと。なおも揺れつづけている不惑プラス二歳なのである。

 「鳴子米」発表会は、食農系ジャーナリスト、ライターの大集会でもあった。農文協のみなさま、お疲れさまでした。仙台の「地元学レディ」ライターNさん、お久しぶりでした。Kさんもスタッフにお名前があったのできっといらしたはず。九州で食の地元学にけっぱるよかおなご、自称「森ち」森千鶴子さん、はるばるよく来たごだ〜。「食の文化祭」以来ですね。ブログ「森の新聞」見てるで〜。

わしもいろんな意味で頑張んなきゃいかんなあ。とは思っています。できるとは言えないけど。
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by columnbank | 2007-03-24 22:11 | 外へ、旅へ
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