数年ぶりの寄り道。

「大きな意味をもつことを」リンク間違えてた〜。修正〜。


 5日、稿画の納品に仙台へ。帰路、友の家に立ち寄る。
 通町(とおりちょう)へさしかかり信号待ちしていた時、ふと思い出した。その前にそうだ、久々にボスを訪ねよう。文章書きというヤクザな仕事に初めて就いた頃からの、親方分である。ちょっと通り過ぎてしまったので、100mくらいUターン。
 当方は広告出身である。仙台では最も大所帯の40人ほどのプロダクションで、チーフだったのが彼である。性格、ドS。ガリガリで眼差しだけは鋭く、いつも不機嫌そうに机に肩ひじついている。ファッションセンスはゼロをはるかに下回ってマイナス。足がくさい(激マイナス)。でも仕事における考え方は明晰。理詰めを無理なく築いて、できること、できないことを判断し、ベストチョイスを精査する。
 クライアントや上役を交えての打ち合わせは懇切丁寧。へつらうというのではなく、敬語をきちんと使うのは当然と、内容も印象も信頼がおける話をするのだった。彼が上司であったのはたった8カ月。短い期間だったが、大きな意味をもつことをいくつか教わった。
 町家もちらほら立つ古くて細い通町を、ほどなく、G庵という寺まで戻った。21年前から彼がいるのはここ。ただし、お骨は静岡県の実家と聞く。あるのは位牌。そしておそらく彼の気持ちも、ここに腰を下ろしている。当時の会社やチームが彼に頼った以上に、あらゆる面で彼を必要とした奥さんがいたまちだから。
 当方が入社したのが昭和61年の6月。彼が結婚したのは確か10月頃。翌年の2月5日、 ふつうに残業をし、夜9時過ぎだったと思うが、帰って行った。翌朝、通常の出社までまだ3時間あるというのに、社長から電話が来た。電話では説明できんが、とにかくすぐ出社しろと。
 彼は残業を終え自宅へ帰り、ふつうに食事もして就寝した頃に突然呻きだし、そのまま息絶えた。なぜか、は我々には明らかにされなかったように覚えている。
 元々、決して健康な人ではなかった。少々のアトピー症状、十二指腸に慢性的な潰瘍がある、とも。でも結婚してからは、何処へ打ち合わせに出しても恥ずかしくない姿になって。ブランドものというわけでもなさそうだったけど、センスのいいジャケット、セーター、ネクタイ。本人の見立てでないことは火を見るより明らかで(笑)、いや結婚ひとつでこんなに変わるもんかと、誰もが感心せざるを得なかった。もちろん、そのように面倒見の良い女性、というアドバンテージは大きい。社の外で奥さんと待ち合わせ並んで帰った日には、我々には見せたこともないような笑顔を奥さんにはケチらないことを知った。結婚しても治らないどSは我々に対してだけだったのだ。
 命日の前後に位牌を拝みに、時には同僚メンツも加え、何年か続けて行った。けれどあるとき思ったのだ。「いいかげん忘れてくれよ」と言っているかもしれない、と。あんまりしつこく覚えていられるのもしんどいもんだぞー、と。彼ならなおのこと、毒づくふりして、少々の思いやりともとれる台詞を言うだろう。
 それで10年くらい前だと思うが、「これからは思い出したとき、気が向いた時に来ます」と、位牌に告げた。おそらくそれ以来の、久々の焼香だったのである。節分で後厄も明け、参ったのは命日直前。まことに気分はよろしい。
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by columnbank | 2008-02-06 17:35 | いろいろ
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